トリコチロマニア 101

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雪かき仕事と労働の義務

 

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫) 下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

 

タイトルからは想像できない?かもしれないけど、この本は親子関係のことについて書いてある。

 
働かなくてもいいんじゃないの?と言ったり、
労働は義務(←憲法にもあるし、この本にも書かれている)と言ったり、いったいどっちなの???という声がとんできそうですが、
2冊とも読んで、自分の頭で考えるのがいいのではないかと…。
どっちか1冊ではなく、両方。少数派の意見も大事ですしね。両方です。

 
抜粋メモ1

日常的にはぱっとしないけれど、誰かがやらないといけない「雪かき仕事」のようなものも社会を維持するためにはやはり必要なのです。
「雪かき仕事」をする人は朝早く起き出して、近所のみんなが知らないうちに、雪をすくって道ばたに寄せておくだけです。起きだした人々がその道を歩いているときには雪かきをした人はもう姿を消している。誰がそれをしたか、みんな知らないし、当然感謝される機会もない。でも、この人が雪かきをしておかなかったら、雪は凍り付いて、そこを歩く人の中には転んで足首をくじいた人がいたかもしれない。そういう仕事をきちんとやる人が社会の要所要所にいないと、世の中は回ってゆかない。

抜粋メモ2

若い人がよく言う「クリエイティヴで、やりがいのある仕事」というのは、要するに、やっている当人に大きな達成感と満足感を与える仕事ということです。でも、「雪かき仕事」は、当人にどんな利益をもたらすかではなくて、周りの人たちのどんな不利益を抑止するかを基準になされるものです。だから、自己利益を基準に採る人には、その重要性が理解できない。
もちろん、僕は「みんな雪かき仕事をしろ」というようなことを言っているわけではないのです。自分の成功を求める生き方と、周りの人にささやかな贈り物をすることをたいせつにする生き方、これはどちらも社会にとっては必要です。両方のタイプの人がいないと社会は立ちゆかない。そんなことくらい僕だってわかっています。だから、どちらかに決めろと言っているのではありません。ただ、仕事について、「自己利益の最大化」を求める生き方がよいのだという言説はメディアにあふれていますけれど、「周りの人の不利益を事前に排除しておくような」目立たない仕事も人間が集団として生きてゆく上では不可欠の重要性を持っているということはあまりアナウンスされない。そのことの危険性についてご注意申し上げているのです。


一見、「クリエイティヴで、やりがいのありそうな仕事」でも、雪かき仕事の側面はあると思います。どんな仕事にも、その側面はあるんだろうな、きっと。
 
極論になってしまうのかもしれませんが、親から愛されてこなかった程度が大きければ大きいほど、人は仕事に、自分自身の達成感や満足感や自己利益を、より重要視するようになるのかもしれない…と考えてしまうのです。それに、達成感と満足感と自己利益を優先すればするほど、仕事ができなくなってしまう人や、仕事にアディクトしてしまう人もいるんだろうなと…。

親から子への愛や憎は、一定でもなければ、一緒でもなくて、だからこそ、こんなに人ってバラバラだし、考え方も違う。仕事観なんて見事に人それぞれですよね。
 
自戒メモの意味もこめて。